2023年8月20日

再読のススメ

 

愛読書。

気に入ってよく読む本を指す言葉だ。

雑誌や新聞には有名人が自分の愛読書を紹介する記事なんてのもよくある。

辛いことがあった時に読み返して奮い立つ。

そんなエピソードが安売りされている。

 

自分の愛読書は何だろう。

実は人生において、同じ本をもう一度読む経験をしてこなかった。

漫画や映画は時にはあるけど、本に限ってはほとんどない。

だから好きな作家はいても愛読書と呼べるものは無いのかもしれない。

 

同じ本を読むことは、どこかスタンプ帳に既に押してあるスタンプを重ねて押すような感覚があった。

新たなスタンプ帳のページは埋まらないし、2重にインクが重なって見づらくなる。

どうせなら新しいページを埋めたいと、未読の本ばかりに手を出していた。

 

この夏、京都に訪れた際に森見登美彦氏の『四畳半神話大系』を再読した。

大学生の時に読み、当時その古風な文体に流れるユーモアセンスに脱帽した。

気に入った本でも10年以上たつと、さすがに細かな表現や展開は覚えていないもので、新鮮な気持ちを保ったまま読み終えることができた。

 

そこにあった感覚は、2重にスタンプを重ねるような見苦しさではなく、風化したスタンプの輪郭を丁寧に補修していくようだった。

新しい本もいいけど、同じ本も繰り返すのもいい。

これも一つの読書愛。

 

 

 

2023年8月6日&13日合併号

そして時は動き出す

 

お盆の時期に6年ぶりに京都を訪れた。

旅の締めくくりに映画『リバー、流れないでよ』を鑑賞した。

京都・貴船の温泉宿を舞台にした作品で、ある2分間を何度も繰り返すという、いわゆる”ループ物”となっている。新潟県でも一時上映していたが、機会を逸してしまったので、ご当地映画だと思って見て帰ることにした。

今回の旅の目的は敬愛する作家森見登美彦氏の作品ゆかりの地を巡ること。

『リバー、流れないでよ』は森見氏とは直接の関係はない。

でも、実は遠い親戚のような関係性がある。

 

原案・脚本の上田誠氏はアニメ『四畳半神話大系』や映画『ペンギン・ハイウェイ』など多くの森見作品の脚本を担っている。

だから、旅の目的にも沿っていると正当化することにした。

映画のストーリの詳細は避けるが、本当に2分間きっかりを何度もワンカットで繰り返している。温泉客が雑炊を食べるシーンがあるが、このシーンも当然繰り返す。何度も雑炊は食べる前に戻る。このために何度も雑炊をつくったのかもしれない。様々な撮影の苦労が見ていて感じられる。

登場人物達のループに対する飲み込みが早く、アドリブっぽいせりふも多く見られ、舞台演劇っぽいノリが終始楽しめる作品だった。そういった雰囲気が好きな人にはぜひ、お勧めしたい。

 

映画を見終わった後、帰りの夜行バスを待つためにバス停前の「なか卯」で最後の晩餐を取っていた。

うどんを半分食べ終わったころ、店員が声をかけてきた。

「ごめんなさい、大盛りだったのに普通盛り出したかも。取り替えますね」

うどんが2分前の姿に戻った。

 

多様性の時代

京都には古くから営業する銭湯が多い。

その理由は戦時中、空襲に遭わなかったからだと聞く。

今回泊まったホテルの近くにも「五香湯」という銭湯があり、利用した。

信じられないくらい暑いサウナが出迎えてくれた。

暑いというか熱い。むしろ痛い。

 

髪を洗う時にある異変に気付いた。

シャワーがボタンを押している間しか出ない。

押すと一定時間出るタイプが一般的だと思うが、本当に押している間しか出ない。

髪を洗う手、シャワーを持つ手に加えて、ボタンを押す手が必要なので、明らかに一本手が足りない。

しばらく方法を考えたが、最適解は出ない。

結論として、この「カラン」は3本手がある人用だったと納得することにした。

今思えば、手が2本であることに慣れすぎていたのかもしれない。

京都大学の構内に貼られいてた部活勧誘のチラシには、ポケモンのカイリキーがせっせと4本の腕でチラシを配る姿が描かれていた。

そう、腕は3本だって、4本だっていい。その方が便利そうだ。

 

そんなことを考えながら、そそくさと別のカランに移動した。

 

2023年7月30日

憧れのハワイ航路

 

目の前に座った子どもたちの唇が青い。

それも一人だけじゃない。

ボードゲームのイベンにボランティアスタッフとして参加したときのことだった。

体調が悪い?

ハロウィンのゾンビメイクにはまだ早い。

 

なんて事はない。

無料で配られていたかき氷のブルーハワイを食べた影響だった。

ブルーハワイの着色力はすさまじい。

子どもの頃、翌日の便の色すら変わっていたことに衝撃を受けた。

 

それにしても、ブルーハワイってなんだ。

イチゴ、レモン、メロンと果物が続く中で唐突感がある。

かき氷の一般的なシロップはどれも同じ味だというのは有名な話だが、

急に地名を食べさせなくてもいいではないか。しかもなぜか青い。

実際にはカクテルの名前が由来のようだけど、4番手のかき氷として全国で定着しているのがすごい。

 

ところで、本場ハワイは、インフレと円安が相まって、物価が日本人にはかなりきつくなっているようだ。パンケーキですら4千~5千円程度することも珍しくないらしい。

1ドル100円時代に一度行ったことがあるが、その頃に比べると食費は2~3倍。

戦後、「憧れのハワイ航路」が歌われた時代の感覚に戻りつつある。

 

ハワイはもうブルーハワイでしか楽しむしかない。

 

2023年7月23日

びしょ濡れ

 

人間はいつでも言い訳を探している。

家系ラーメンを食べる時もそうだ。

脂肪の楽園である濃厚スープに罪悪感を感じては

酢を入れたり、ホウレンソウをトッピングしたりする。

かくいう僕もその一人だ。

アクセルを踏みながらブレーキを踏み、自分を慰めている。

 

家系ラーメンでもう一つ好きなトッピングがある。

焼き海苔だ。

アイロンにかけたようにパリッとした海の幸は

スープにくぐらせると、雨に濡れた上着のように重くなる。

ずぶ濡れになった海苔は何よりおいしい。

この際、麺がなくてもいい。

海苔とスープだけでもいい。

 

人生のルート

 

心理学者のユングは言った。

「人生は山登りに似ている。山へ登ったかぎりは 降りなければならない。山へ登りっぱなしのことを遭難したというのだ」

 

心理学が分からない僕は思った。

ボルダリングも人生に似ているのかもしれない」

 

先日、友人と登山の約束をしたが、雨で中止に。

代替案として、突起の付いた壁を登る「ボルダリング」に挑戦してみることにした。

体力勝負の印象が強い競技だが、実際にはそれ以上に頭も使う。

印象的だったのは、体力が一番ないとみられていた友人が上手かったこと。

四肢を器用に使いこなし、するすると登っていった。

事前にルートをしっかりと見極め、無駄な動きはせずに最小限の力で進んでいく。

その友人の生きざまが少しオーバーラッピングした。

 

ボルダリングの向き合い方は人それぞれだった。

自身の長身を生かし、ごり押しする人。

挑戦したルートが難しいと判断すると、すぐにルートを変えて成功する人。

人生の数だけボルダリングの登り方がある。

 

僕は一つのルートに固執したまま、何度も挑戦し続けた。

結局は体力切れでクリアできず、なぜか置いてあったけん玉で遊ぶ始末だった。

やはりこれも自分の生き様っぽい気がしてくる。

少し情けない。

 

それでも前を向こう。

昨日よりもけん玉は上手くなったのだから。

 

2023年7月9日&7月16日合併号

赤ペン先生

新人記者の頃、机の隣には赤ペン先生がいた。

新人の教育係を任されたベテラン記者。

某ゼミの先生は、いつも優しく励ましてくれるが、机の隣の先生は容赦なかった。

提出した原稿は、いつも真っ赤になって返ってきた。

もっと時代をさかのぼれば、使えない原稿はその場でゴミ箱に捨てられたと聞く。

そうされないだけマシではあったが、ほぼ全面的に書き直される原稿を見ると、

自分の存在が否定されているように感じて堪えた。

そんなことはお構いなしに大量の赤ペンが入る原稿。

書くのも嫌になるが、それでも書かないことには仕事にならい。

同期は優秀で、自分よりも長い記事を書くようになっていく。

自分は変わらず30行程度の短い原稿を日々、書き続けた。

入社して半年は経過した頃だろうか。

赤ペン先生に提出した原稿に異変が起きた。

先生は「どうしたんですか?」と原稿に大きな丸だけ書いて渡してきた。

初めて一文字も直されていなかった。

しばらく呆然したが、次第に喜びがあふれてきた。

結局、次の日以降はまた何度も原稿を直される日が続くことになるが、

初めて認められた気がして、小さな自信になったのは確かだった。

 

気付けばあっという間に社内では中堅になり、赤ペン先生の年齢に近づいてきた。

いつか教育係になったら、僕も大きな赤丸を書いてあげたい。

 

はてなマーク

好きな人とのメールのやりとりを長続きさせるには、疑問符で終わるといい。

携帯電話を持ち始めた高校生の頃、誰かがそう言ってた。

僕も果敢に「?」を多用したが、すぐに「おやすみ~」と返ってきた。

効果は個人の感想のようだ。

 

「?」

この疑問符は、はてなマークとも呼ばれる。

疑問符やクエスチョンマークよりも柔らかい印象で、子どもにもわかりやすい。

でも、よく考えると「はてな」という言葉は現代ではほとんど使われない。

 

広辞苑には「はて」に間接女子「な」のついた語。「はて」に、さらに怪しみいぶかる気持ちを添える。

例文:「はてな、盗まれたかな」

 

例文を実際に口にするような人はまず見ない。

それでも、「はてな」という言葉は「はてなマーク」という単語の中で生き続ける。

そして、今僕が書いているブログも「はてなブログ」だった。

まだまだ「はてな」は死語にはならなそうだ。

 

2023年7月3日

叱ってくれる人

 

時折、カーナビに叱られる。

「速度超過を検知しました。安全運転を心がけましょう」

少しでも法定速度を超えれば、無機質な音声が車内に流れる。

見逃してくれない。

そんなカーナビの音声が気になるのも、叱られることが減ったからかもしれない。

新人時代はやることなすこと叱られた記憶があるが、年齢を重ねることにその回数は減っていった。

かといって自分が特段成長しているわけでもなく、おそらく陰では呆れられているし、諦められている部分も多いのだろうと思う。後輩の数はどんどん増えていき、いつも気を使ってくれる。それも自分が慕われているからではなく、単に先輩と後輩との関係だからだ。

そういう意味でカーナビの対応は誰にでも平等だ。

その関係はいつまでも変わらないだろう。

音声を切る方法もあるようだが、自らを律するためにも時折叱られておきたい。

 

嫌われ者と人気者

仕事が終わり、駐車場に向かうと小さいな影が目の前を横切った。

ネズミだ。

県庁の森には様々な動物が住んでいる。

僕が愛してやまないタヌキも生息し、時々顔をのぞかせては県庁で働く人々の心をほっこりとさせている。

しかし、ネズミの場合はちょっとギョッとする。

最近は新宿歌舞伎町でネズミの大群が現れているらしいが、動画を見ると戦慄が走る。

現実世界では嫌われ者のネズミだが、ネズミをモチーフにしたキャラクターはなぜか人気者ばかりだ。

ミッキーマウスピカチュウトムとジェリーのジェリー。

ネズミほど現実と架空のキャラクターのギャップが激しい動物はいないと思う。

人間が持つ恐怖心を和らげるためにネズミたちはかわいく描かれてきたのかもしれない。

ネズミのキャラクターといえば、子どもの頃BSで再放送が流れていたガンバの大冒険も好きでした。

 

 

2023年6月17日&6月25日合併号

合併号

週報を1週間お休みした。

普段は日曜の夜に、日曜夜が忙しければ月曜夜に。

そんなペースで書いていたが、先週は土曜から火曜まで予定が詰まり、書き逃した。

休載は突然に。

一度ペースを乱すと、意思が弱い人間なのでズルズルと乱れ続けてしまう。

水曜、木曜辺りでの投稿も考えたが、今度は次週分がさらに遅くなりそう。

そこで潔く先週分は諦めることにした。

せっかく休むなら、いい言い訳はないか。

思いついたのが、週刊の漫画誌でたまに見かける「合併号」。

年末年始など世間一般が休む漫画家に休んでもらうことなどが目的としてあるようで、週刊ジャンプや週刊マガジンは年4回ほどある。

合併しても読者には特にメリットはないのだが、休刊を上手く言い換えている。

大手の基準に照らし合わせれば、この週報もあと3回休めるかもしれない。

 

ジレンマ売ります

一箱古本市とかけて、よくできたボードゲームと解く。

その心は

どちらも「ジレンマ」があるでしょう。

 

6月18日、新潟市の学校町通で開催された一箱古本市に友人と初出店した。

一つの箱で世界観をつくるというコンセプトで、この日は40店ほどが店を構えた。

出店して早々に気づいたのが、「一箱」というルールを無視する人が結構いること。

ビニールシートの上に本をずらりと並べ、フーテンの寅さんよろしく、商売に励んでいた。

写真撮影などで回ってくる運営の方が「本当は箱に入れるんですけどね・・・」

と寂しそうな声でつぶやいていたのが忘れられない。

 

初出店ということもあって、我々はセオリー通りに箱をちゃんと用意して参加した。

箱に本を詰め込むと、結構それらしく見えてくる。

一箱古本市には、売れる本は売りたくないというジレンマが存在する。

思い入れが強い本はその本の魅力を熱く語れるから売れる。

でも、それは手元に置いておきたい本でもある。

別れを告げるのはつらい。

一方で、あまり思い入れのない本はいつまでも箱に残り続ける。

見透かされている気がする。

ところが、装丁がボロボロで絶対売れないだろうと思っていた本が、一番最初に売れたりもしたので、商売は分からない。

 

手練れな出店者だと本を定価以上で販売していた。

ここの空間で高く売れる本は、ブックオフでも高く売られている人気商品ではなく、

いかに普段見かけないか、その本を巡る物語を語れる本であるかだと感じた。

 

素直に次回も参加したいと思ったこのイベント。

それまでにジレンマが生じる本に多く出会いたい。