2023年度上半期振り返り

2023年の4月からブログを書き始めて半年が経過したので、ふりかえりを書きます。

もともとの動機

友人が今年1月から、「週報」と名付けた週1回更新するブログを始めて、そのスタイルがとてもよかった。何気ない日常の変化を見逃さずに切り取る巧みさがある。文章に余計な虚飾がなく、シンプルで美しい。それでいてユーモアも忘れない。自分はこのような文章は書けないかもしれないけれど、文章のトレーニングを積みたいと思っていたこともあり、自分も始めてみることにした。

ルール

週報を書くにあたり、友人はいくつかのルールを課していたようだ。

■必ず日曜の夜に書くした。
■できれば1時間、長くても2時間以内に書き終える
■愚痴や悪口を書かない

以上が、友人のルール。

僕はそこまで厳密にルールを考えていなかったけれど、自ずと意識していたことは何個かあった。

 

◎導入とオチを意識すること

小学生の作文がなぜ小学生の作文らしいかというと、物事を時系列に書いてしまうからだと思う。朝起きて、学校に行って、体育の授業で・・・と続いていく。

引き付ける文章を書くためには流石にそういうわけにはいかないので、しっかり文章の入り口は意識するようにした。

入口以上に難しいのが文章の出口。オチが綺麗に決まった文章を書けると、それはもう快感だが、そう簡単にはいかない。実際ほとんどオチのない回も多かった。きっとオチを先に考えて構成した方がいいのだろう。これは今後の課題としていきたい。

 

◎駄作でも世に出すこと

友人が制限時間内を設けたことと似ているかもしれないけれど、長い時間をかけて書いたとしても必ずしもよい文章になるわけではない。むしろ勢いで書いた方がよかったりすることはままある。明らかに駄作だと自分で分かっていたとしても、これはあくまでもトレーニングと割り切って出すことにしている。きっとその駄作が今後のためになると信じて。

 

◎内輪ネタを避けること

どんなにその場では盛り上がったとしても、内輪ネタは外に出すと色あせてしまう。

盛り上がった思い出は大切にしつつも、なるべく内輪ネタは避けるようにした。ちょっとマニアックな話なら、補足説明も入れるようにした。背景が知らない人にも理解してもらえるように。ただ、そうすると説明臭い文章にもなってしまう。そこらへんのバランス感覚は難しい。

所感

友人と同じ週報というスタイルを取ってみたものの、同じ作業を繰り返すのが苦手な性分は変わらず、書けない週も度々あった。反省。それでもなるべく毎週書こうと思うと、スケジュールをきちんと管理するようになり、それは思わぬ副産物だった。

日常生活でふと感じたことををメモするようになった。それを一つ一つ取り上げて成仏させていくのはちょっとしたカタルシスで、心が安定する気がした。

しばらく書いて感じたのは、自分は内省的な文章が書けないということ。心の機微があまりないのかもしれない。優れた文学は苦悩だとか葛藤を描くけど、その才能はあまりないようだ。

ツイッターの文章と違って、ブログを読むためにはワンクリックのひと手間増える。

それでも読んでくれる人がいてリアクションがあるのは単純にうれしい。

これぐらいの承認欲求は満たされてもいい。

これから

9月から生活が変わり、土日もほとんど仕事になる。旅行やレジャーに行く機会は減り、より変わり映えのない日々が続くかもしれない。その中で文章を書き続けるのはセンスがより求められそうだ。週報を書く曜日は変わるかもしれないけど、しばらく文章修行として続けていきたい。